注射なんて嫌だヨ 思春期のゆれる心

宮城教育大学 障害児教育講座 村上 由則

 子どもの成長とともに治療管理の様子も変わります。小学校低学年ごろまで注射の準備を手伝っていた子どもが、高学年になると手伝いはおろか注射も拒否し たりします。中学生では、「忙しいから、病院に行くのはめんどうだな!」と言い出します。こんなことで将来自分の身体を守れるのかと、お父さんお母さんは 心配になるでしょう。

 でもちょっと、お父さんお母さんが同じ年齢の頃を思い起こしてください。親の言うこと、周囲の大人が言うことをどんな気持ちで聞いていたでしょうか?子どもさんは激動の季節「思春期」にさしかかっているのです。

1.思春期:身体や心の変化と出血

 思春期は、身長・体重が急に増加し、動きもダイナミックになります。その結果、関節への負担も大きくなり出血が頻発する時期です。この時期になると、親 にベッタリだった子どもが、目の届かない場所で過ごします。友だちが大事になり、同じように行動します。友だちとの交流は子どもの育ちに欠かせませんが、 出血の危険性を高めるのも事実です。

 思春期の最大の特徴は、「自我」の成長、「心の独立」の始まりです。無条件に受け入れてきた親の意見を疑い、時には拒否します。また「心の独立」は、 「自分とほかの人の違い」を意識させ、自分の弱点を見ることにもつながっていきます。「なぜ、病気なのか」「なぜ自分だけ注射するのか」「あってはいけな い、認めたくない」といった感情が湧き上がるのです。つまり、心の独立も、出血認知の遅れや治療管理の拒否につながり、出血の危険性や出血症状の悪化を招 くのです。

2.「分かること」と「分かりたくないこと」、「できること」と「やりたくないこと」

 心は、物事を理解する「認識の働き」と気持ちや感情といわれる「情動の働き」の二つの面から成り立っています。認識は、「分かる」「できる」の心の面と 言っていいでしょう。一方、情動は、「分かりたい」「やりたい」というポジティブと「分かりたくない」「やりたくない」というネガティブの間で揺れる心の 面です。ちょっとした影響で、心の重みはどちらかに偏ります。

 思春期は心の二つの面がともに成長しますが、認識よりも情動の面が激しく前に出ます。さらに心の独立がまだまだ十分とは言えず、情動がすぐに周囲から影 響を受け、ネガティブな方に傾いてしまいます。その結果、出血の危険性を予測したり治療管理の意義を理解できていても、注射を嫌がったり通院を拒否したり するようになるのです。

 「分かれば、できる」と単純に思いますが、人の心には「分かりたくないこと」「やりたくないとき」があるのは、お分かりでしょう。心の中で認識と情動が ぶつかり合っているわけです。でも、このぶつかり合いはとても大切です。もしも、心の中のぶつかり合い、さらには親や大人の言うことへの拒否的な反応が十 分に無いままに過ぎると、心の独立が完成しない「大人になりきれない大人」になってしまうのです。
 

 

3.親は主導権を手放す練習、子どもは管理の試行錯誤学習

 中学入学の時期あたりから、親は病気の管理の主体を急に子どもに移そうとし始めます。それまで、何くれとなく世話を焼いていたお父さんお母さんが、「も う子どもじゃないのだから」と言い、急に子どもに自己管理を求めるのです。この時期と、認識と情動のぶつかり合いの時期が重なります。これは、危険性が最 も高い「思春期の出血管理」にとって、厄介なものです。時にはあまりよい結果を生まず、出血の後遺症としての運動障害を残すケースも生じます。このような 事態を招かないためには、次の2点を心がけてください。

 まず第1点目は、病気の管理の主導権を親が握っている小学校低学年の頃から、親は数年かけて徐々に「子離れ」を練習しましょう。ただし、離れることと無視することは違います。「いつもここにいるよ」という信号だけは送ってください。

 自己注射の実技的な部分に関する「子離れ」の例をあげます。まず家庭注射に慣れたころ、子どもが自分で注射に必要な道具を揃えることとします。揃えてい る最中は、親は別な仕事、例えば家事などをしています。揃ったところで、製剤の溶解やシリンジへの移しかえや実際の注射は、親がおこないます。次の段階 は、前段階が慣れたころ、実際に針をさすときだけ親がおこなうようにします。そして小学校高学年ころから自分で針をさし、親がそれを見ている、そして針を さすときには同じ部屋の中に親がいる、ドアを開けておく、といった具合に進み、最終的に個人差はありますが、高校生になったならすべて子どもの責任でおこ なわせるわけです。

 第2点目として、「心の独立」が見え始めたなら、自己注射や通院などの管理内容の決定、「やる、やらない」の決定も子どもにまかせる事です。管理に失敗 して苦しく痛い経験をすることも時には大切です。病気の管理もほかの事柄と同様に、子どもは大人の配慮のもとで、試行錯誤を繰り返して学習することが必要 です。

 管理内容の決定について中学生以上を例にとりましょう。例えば、出血に気づきながらも自己注射が遅れ、腫れや痛みがひどくなったときです。そんなときで も、親は何も言わず、自己注射の実技的な援助に徹します。「なぜすぐ言わなかったのか?」と叱っても無駄です。「言いたくなかった」だけ、時には「親に言 われる中味が分かっていた」のです。分かっていながら子どもは、「分かりたくない」のです。しかし、子どもは「腫れや痛み」などの厳しい結果から、この次 にこのような事態になったときにはどうすればよいかを必ず学習します。親の小言は、せっかくの学習の機会を奪うだけでなく、子どもの気持ちを逆なでしてし まいます。その結果、出血の原因やその症状、自己注射のタイミングなど、冷静に分析すべき情報を見失わせてしまいます。

 このように親が「子離れ」し、なおかつ「試行錯誤」を許容すれば、子どもは、「明日、友だちと遊ぶ」ため、「明日の遠足」のため、そして「明日のデー ト」のために病気の管理をするようになります。親が口を出し続ければ、人にやってもらう「管理のための管理」がずっと続きます。でも、自分で考えて管理し 始めれば、「何のための管理か」といった意味を見つけ出します。病気の管理の「心の独立」がこの時やっと完成し、思春期から青年期へ、大人へと成長してい くのです。

 血友病の知識や自己注射の方法など、実技的・技術的な部分を子どもに教えれば、自己管理ができるとの勘違いが、親にも医療関係者にも見受けられます。し かし実技的・技術的な部分を「どのような場面」で「何のため」に活用するのか、といった「判断」と「意味づけ」をおこなえてはじめて、自己管理ができるの です。なぜなら、人はあらゆる行動に、自らの意思で意味づけを行う存在だからです。
 




JP/HG/0617/0004