第2話 しょうげきの1日

博士(はかせ)に会ってから1週間がすぎた。あの時からまだ博士のところには行っていない。空き箱から落ちた時のけがは、かさぶたとあざが残っているだけだ。今日、学校の帰りに行ってみようかな。

 ピンポーン、ピンポーン。
「こんにちはー。博士ー。ケンジです。こんにちはー」
 あれ? いないのかな? ドアは開いてるみたいだけど。
「こんにちはー。ケンジです」
「いらっしゃい、ケンジくん」
「あれ? 『いらっしゃい』って、だれの声? 博士、どこにいるんですかー?」
「いらっしゃい、ケンジくん。どうぞ中に入って」
 声はするのに、でも博士の声じゃないぞ。部屋の中はがらんとして、だれもいないみたいだけど、どこからかいいにおいがする。ぼくのそばでは博士の犬がしっぽをふっている。
「博士ー、博士ー」
「ケンジくん、こっちだってば」
「博士ー、どこですかー」

 しばらくして、大きな眼鏡(めがね)をした博士が部屋のおくの方のとびらを開けて出て来た。
「おー、ケンジじゃないか。よく来たね」
「ケンジくん、いらっしゃーい」
「あ、博士。え? 『いらしゃーい』ってだれ?」
 今までぼくのそばにいた白い犬が、こんどは博士のそばで、しかもこっちを向いて手をふってる! ええーっ! いらっしゃいって! 犬が、犬が、しゃべってるー!
 

ぼくはその場にへなへなと座(すわ)りこんでしまった。これが、お父さんが言っている「こしがぬける」ってやつなのかな?

「ふぁ、ふぁ、ふぁか、ふぁかせ・・・。犬が、しゃべっ、しゃべっ、てる」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。いやーおどろかせてごめんよ。だいじょうぶじゃよ。これはふつうの犬じゃよ。ま、ちょっと話ができるだけじゃ」

 ちょっと、話ができるだけって・・・。ぜんぜんちがうじゃーん。
ぼくはなんだかぼーっとして、気がつくとまた、前回けがの手当てをしたソファにすわっていた。横にはニコニコして、うちわでぼくをあおいでいるへんな犬がいた。
「落ち着いてきたかね。びっくりしたかい?リッキーはやさしい犬じゃから、すぐ友だちになれるよ。もっとも、リッキーはもうケンジのことを友だちだと思ってるみたいじゃがね」
「ケンジ、博士だって初めはぼくの声を聞いて、すごくびっくりしてたよ」

「そうなんじゃよ。さっきいいにおいがしていたじゃろ?あれはわしの研究室から、流れて来るにおいじゃ。今から、ちょうど2年前じゃったかな。いつものように実験をしていたら、うっかり混(ま)ぜる液(えき)をまちがえてしまったんじゃ。そうしたら、あのいいにおいがして、液がビンからあふれ出た。そいつをこのリッキーがなめてしまったんじゃ」
「それでどうなったんですか?」
「リッキーは口からあわをふいて、もう死んでしまうかと思ったんじゃ。夜もねむらずに看病(かんびょう)をしてな。じゃが、いつの間にか、わしはねむってしまったんじゃ。そしてだれかの声で起こされた。それがリッキーだったんじゃ」
「博士、すごくびっくりしてたよ。今のケンジよりびっくりして、立てなくなってたよ」
 また、しゃべった。この犬。あ、リッキーだっけ。
「そりゃ、そうじゃよ。自分があの世にいるかと思ったほどじゃ。じゃがな、しばらくして思ったよ。今は天国にいるばあさんが、わしがさみしくないようにリッキーにことばをくれたんじゃってな」

「そうだったんですか・・・。ぼく、まだちょっとなれてないですけど、きっと友だちになれます」
「もう、友だちだよ。ケンジくん」
「ひゃーっ! あー、びっくりした。う、うん、そうだね。友だちだね」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。よかった。よかった。そうだ、ケンジ。ぐあいはどうじゃね?」
「はい、もうだいじょうぶです。博士、聞いてもいいですか?」
「なんじゃね。答えられることなら、何でも答えるぞ」
「あの、博士はちょうのうりょくがあるんですか?」
「ちょうのうりょく? いや、わしは医学の知識(ちしき)以外、特別なものは持っておらんよ。どうしてじゃね?」
「この前ぼくが帰るときに、『お母さんに注射(ちゅうしゃ)してもらえ』って言ってましたよね? なんで、ぼくがお母さんに注射をしてもらってるがわかったのかなって。ぼくが考えていたことがわかったみたいに」
「ああ、それかね。それはケンジがけがをしたときに、ケンジの手や足を見ていたんじゃよ。手に注射のあとがあったじゃろ。それにあざが残りやすいようじゃったからな。きずの手当ても、なれてるようじゃったし」
「博士、ぼくのことしんさつしてたんですか?そういえば、博士、ぼくの手にもさわってみてたし、ひざとか足首とかも・・・」
「まずかんじゃの全体の様子(ようす)をみる。医者の基本(きほん)じゃ。で、質問(しつもん)はそれだけかい?」
「ええと、ぼく・・・」
「なんじゃ、はっきり言わんか。男の子じゃろ」
「ぼく、自分の病気のこと、よく知りたいんです。病院にも行ってるんですけど、聞きにくくて。そんな本、図書館にもないし。お父さんかお母さんに聞けばいいんですけど」
「そうか、そうか。ケンジもおとなになってきたしょうこじゃな。いや、いいことだ。自分を知る。これは、おとなになっても大切なことじゃ」
「博士にこれからもっといろいろ聞いてもいいですか?」
「いいとも、ときどき遊びに来るといい。今日は何が聞きたい? リッキーはしゃべる犬。わしはちょうのうりょく者ではなかった。それから?」
「血友病(けつゆうびょう)のことです。生まれつきで、ぼくの血に足りないものがあるから、注射しなくちゃいけないって言われていて・・・」

 博士は、ぼくが聞きのがさないようにゆっくりと話してくれた。
「そうじゃな。血友病は血液(けつえき)の病気じゃ。病気というと、からだの外から悪いものが入ってくるように思うが、ケンジの病気は悪いものが入ったわけでも、からだの中でできてしまったわけでもないんじゃ」
「血が足りないんですか?」

「いや、ケンジの血、つまり血管(けっかん)に流れている血液(けつえき)の中には目に見えないいろんな成分(せいぶん)が入っているんじゃ。ケンジが食べるごはんの栄養(えいよう)も、この血液にのって、からだ中に運ばれるんじゃぞ。」
「へえ、じゃあ、血液はいろんな成分が流れる川みたいなんだ」

「そうじゃ。この血液の中に血を固める成分も流れていて、それもたくさんの種類じゃ。その成分の数が少ないんじゃよ。だから、けがをして血が出たとき、これを出血(しゅっけつ)すると言うぞ。出血(しゅっけつ)したとき、なかなか血が止まらないことがあるんじゃ」

「じゃあ、注射はその成分をぼくのからだに入れてるんですか?」
「そうじゃ、さすがケンジ理解(りかい)がはやいのぉ」
「頭がいいね、ケンジ」

「ひゃ、リッキーか。やっぱりまだなれないなー」
「さあ、ケンジ、今日はおどろいてつかれたじゃろ。もう、お帰り。あ、そう、そう、リッキーのことはナイショじゃぞ」

 今日は今までで一番おどろいた。だって犬がしゃべるなんて、マンガの中にしかないもん。つまらない博士かと思ったけど、すっごいや。